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なかにし礼さん死去 作詞家「北酒場」「石狩挽歌」

「北酒場」などのヒット曲の作詞を数多く手掛け、小説「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞した作詞家のなかにし礼(なかにし・れい、本名=中西礼三=なかにし・れいぞう)さんが12月23日午前4時24分、心筋梗塞のため東京都内の病院で死去した。82歳だった。告別式は近親者で行う。喪主は妻、由利子さん。

旧満州(現中国東北部)の牡丹江市生まれ。立教大在学中からシャンソンの訳詞を始め、「知りたくないの」で作詞家デビュー。「時には娼婦のように」「天使の誘惑」「石狩挽歌」などヒット曲を次々と生み出し、日本レコード大賞を3回受賞した。

小説家としても1998年に自伝小説「兄弟」が直木賞候補になり、2000年に「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞した。映画の脚本やオペラの台本・演出など、幅広い分野で活躍した。

12年3月に食道がんを公表、15年に再発して手術したことを明らかにしていた。体調を崩し、約1カ月前から入院していたという。

情報公開日2020年12月25日

引用元:日本経済新聞

中村泰士さん死去、81歳 作詞作曲家、「喝采」「北酒場」など

「喝采」や「北酒場」など数多くの歌謡曲を作曲したヒットメーカーとして知られる作詞作曲家の中村泰士(なかむら・たいじ、本名読み=たいし)さんが20日午後11時50分、肝臓がんのため大阪市の病院で死去した。81歳だった。奈良県出身。葬儀は近親者のみで済ませた。喪主は長男修士(しゅうじ)さん。

高校在学中から歌手活動を始め、1968年に佐川満男さんの「今は幸せかい」をきっかけに作曲家となり、70年にヒデとロザンナの「愛は傷つきやすく」がヒット。72年にちあきなおみさんの「喝采」、82年に細川たかしさんの「北酒場」が日本レコード大賞を受賞した。
フジテレビ系「笑っていいとも!」をはじめとしたバラエティー番組などにも出演したほか、95年に奈良県知事選、96年に大阪3区から衆院選に立候補したことでも知られる。

情報公開日2020年12月24日

引用元:JIJI.COM

伊藤鎮樹氏が死去 元中部国際空港副社長

伊藤 鎮樹氏(いとう・しげき=元中部国際空港副社長)12月22日、病気のため死去、71歳。連絡先は同社総務部。告別式は近親者で行う。喪主は妻、千恵子さん。

情報公開日2020年12月24日

引用元:日本経済新聞

大森一夫氏が死去 元住友商事会長

大森 一夫氏(おおもり・かずお=元住友商事会長)12月16日、敗血症のため死去、72歳。連絡先は同社秘書部。告別式は近親者で行った。喪主は妻、裕子さん。

輸送機・建機事業部門が長く、副社長などを経て2013~18年に会長を務めた。

情報公開日2020年12月23日

引用元:日本経済新聞

出口典雄さん死去 演出家

出口 典雄さん(でぐち・のりお=演出家)16日午後8時7分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため東京都内の病院で死去、80歳。島根県出身。葬儀は近親者で済ませた。
1975年に劇団「シェイクスピアシアター」を立ち上げ、シェークスピア全37作品を上演した。現代の普段着などを使った演出は「ジーパンシェークスピア」と称され、人気を呼んだ。劇団出身者には吉田鋼太郎さんや佐野史郎さんらがいる。

情報公開日2020年12月22日

引用元:JIJI.COM

脇田冨美男氏が死去 ワキタ創業者

脇田 冨美男氏(わきた・ふみお=ワキタ創業者)12月16日、老衰のため死去、93歳。連絡先は同社総務部。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は娘婿で同社社長の貞二氏。

情報公開日2020年12月22日

引用元:日本経済新聞

林家こん平さん死去、77歳 演芸番組「笑点」の人気者

人気お笑い番組「笑点」などで活躍した落語家の林家こん平(はやしや・こんぺい、本名笠井光男=かさい・みつお)さんが17日午後2時2分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため、東京都内の自宅で死去した。77歳だった。新潟県出身。葬儀は親族のみで済ませた。喪主は長男雄作(ゆうさく)さん。後日お別れの会を予定。

1958年、初代林家三平さんに入門し、72年に真打ち昇進。日本テレビの人気演芸番組「笑点」の大喜利メンバーとして約40年にわたり活躍。「1、2、3、チャラーン」と張りのある声を上げるギャグなどで人気者になった。
卓球好きでも知られ、落語家らでつくる「らくご卓球クラブ」を創設。2005年に体のまひなどさまざまな症状が出る神経系難病の多発性硬化症と診断されて公表、闘病を続けていた。06年から落語協会相談役。

情報公開日2020年12月21日

引用元:JIJI.COM